『21世紀の資本』はフランス人経済学者トマ・ピケティが書いた本で、世界10数ヶ国で累計100万部以上のベストセラーです。
日本では2014年に出版され、かなり話題になりました。ピケティ氏本人が来日したこともあります。
苫米地さんの『『21世紀の資本論』の問題点』は、ピケティ氏の『21世紀の資本』への批判がメインの内容になります。今まで日本企業や国際金融家など、多くの人を批判してきた苫米地さんですが、ピケティ氏のような個人に対して批判する本は珍しいと思います。
タイトルが”21世紀の資本”ではなく、”21世紀の資本論”となっているのが気になりましたが、苫米地さんは原書の”Capital in the Twenty-First Century”を読んだとあるので、このようなタイトルになったのだと思います(Capital=資本論)
私が読んだのは、初版ではなく増補版です。苫米地さんのピケティ批判に対して、『21世紀の資本』の翻訳者の山形浩生氏がブログで批判しています。
これに対する反論記事を苫米地さんもブログに書いたのですが、それに加筆修正をした記事が補足として追加されたのが、増補版になります。
『21世紀の資本』の内容
まずは『21世紀の資本』の要約を苫米地さんがしています。
資本収益率が常に経済成長率を上回ることがわかった。
『21世紀の資本』でピケティ氏が調べたのは、20ヶ国以上にわたる過去200年分の『所得と資産』の関係。その調査から上記の結論が導き出されました。「r>g」というものです。rが資本収益率、gが経済成長率。つまり、株が不動産などからの利益は、働いて稼ぐ金額を上回るというものです。ピケティ氏によると、資本収益率は平均4~5%、経済成長率は平均1~2%。資本家は豊かになる一方、労働者はその半分しか分け前を貰えないことになります。
このままだと格差が拡大するのではないか、というのがピケティ氏の問題提起なります。
ここまでは、苫米地さんも同意見です。むしろ当たり前のことだと言います。
トマ・ピケティVS苫米地英人
格差が拡大するのを防ぐにはどうすればよいのでしょうか。ピケティ氏はグローバルに課税することを主張しています。世界の国々が同じように課税するということです。
『21世紀の資本』がよく批判されるのがこの解決法の部分になります。例えば、日本とアメリカで同じ課税方式にするのは良いのでしょうか。また、先進国と発展途上国や民主主義国と独裁国家ではさらに事情が変わってきます。この辺りを同じ課税方法にするのは、現実的ではないとよく言われるのです。今現在でも、タックスヘイブンなどが存在するのも難しい要因です。
苫米地さんはこれ以外の観点からも批判しています。いくつか上げてみます。
資本主義の否定
ピケティ氏の主張ではたくさん稼いだ人に課税する『累進課税』ということになります。それは資本主義の否定になるというのが苫米地さんの批判です。とはいえ、苫米地さん自身もよく資本主義を否定するようなことを書いています。これは資本主義の否定と豊かさの破壊は違うと主張します。
法人所有の財産は?
ピケティ氏のグローバルな累進課税が、個人に対するものだったら不公平という主張です。個人所有の物を会社名義で購入している場合などがあります、また効果な機械や道具がある町工場などはそれらを資産として計上してしまうと、税金が高くなる可能性があります。
金融投資資金に課税できない
例えばFXを考えてみましょう。FXではレバレッジ=借金をしてやるのが一般的です。日本では自己資金の25倍までレバレッジが認められています。手元に100万円あれば、2500万円までは買うことができるのです。この場合、自己資金でない2400万円は課税できません。レバレッジは負債に該当するので、これに課税するのは容易ではないというのです。
批判への反論

山形浩生氏の本書への批判は上記です。
”ピケティ便乗本の中で群をぬいてひどい”とかなりのものです。酷評といってもいいのではないでしょうか。批判の内容としては山形氏はレバレッジの分は除外されているので、ピケティの結論には影響しないと言います。
これに対する苫米地さんの反論は『世界の資産格差の要因は、「長年の所得格差の結果」ではなく、「稼いでいる経済空間が違う」』というもの。デリバティブ経済は表に出てこないので、実体がつかめないというのです。
私はどちらが正しいというよりは、苫米地さんと山形氏は議論の次元が違うのではないかと思います。苫米地さんの主張が苫米地さんが言うところの”抽象度”が高すぎて、山形氏にとって非現実的な陰謀論に感じるのではないでしょうか。
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