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苫米地英人が語る宗教!?『人はなぜ、宗教にハマるのか?』

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人はなぜ、宗教にハマるのか?

苫米地さんによる宗教の本です。

上智大学でキリスト教教育を受け、オウム信者の脱洗脳で活躍し、現在は天台宗の僧籍を持っている苫米地さんが宗教を語るのは興味深いのではないでしょうか。

本書の内容は、宗教の存在理由や、神の存在の検証、アメリカや日本の宗教事情など多岐にわたります。

そして最後に私たちが宗教にどう対処すればいいのかを提案します。

人はなぜ宗教にハマるのか

素朴は疑問ですが、タイトルにもなっている通り人はなぜ宗教にハマるのでしょうか。その理由を本書では3つ上げてます。

1つ目は人間が不完全だから。不完全であるがゆえに完全である神や神秘的な力を求めてしまうのでしょう。

2つ目はシャーマニズムを発端とするもの。祖先崇拝や自然崇拝などはじめは素朴な理念だったものが、歴史の中で社会システムに組み込まれていき、いつのまにか必須になってしまったのです。

3つ目は死への恐怖。これは1つ目と被るところがありますが、死への恐怖というのは、人間の根本的なもので、本能です。死を恐れなければ、生物は食べて、寝て、子孫を残すという基本的なことができず滅びてしまいます。そして21世紀の現在になっても、死後の世界はあるのかどうかすらわかっていません。

このような欲求に対して、宗教はストーリーの形で答えを提供します。だから人は宗教を求めるのです。

神の存在

宗教と聞いて疑問に思うことのひとつに、神は存在するのか?ということがあります。これについて、苫米地さんは徹底的に否定していました。

脳機能学の観点から言えば、神の存在は脳の情報処理の結果でしかないと言います。

その他にも認知科学や量子論などを使って片っ端から神の存在を否定していきます。

不確定性定理で、数学の完全性が否定されてしまったのを、1991年にグレゴリーチャイティンが情報処理の分野に適用し、この世に完全な系は存在しないと証明しました。これをもってして、本書では1991年を神が正式に死んだ日としています。

神という系があるとしても、神のいうことには必ず矛盾が入り込むし、系の中に神にも証明できない命題が入ってしまう。だとすれば、それは神ではない。155ページより

アメリカの宗教事情

アメリカはキリスト教国であることは周知の事実ですが、本書ではもう少し踏み込んでいます。

例えばアメリカで流行っているスピリチュアルコンテンツについて。

アメリカの支配層はプロテスタントです。知らなかったのは、カトリックとプロテスタントだと、プロテスタントのほうが厳しい戒律を持っていて、原理主義的であることです。

カトリックのほうが歴史はあるので、保守的だと思っていましたが、変容したカトリックに対して、聖書の考えにのっとって政治を行うべきだとカルヴァンやルターたちが起こしたのが宗教改革です。

このような歴史的背景を理解できたら、カトリックと比べてプロテスタントが厳格であるのもうなずけます。

明治以前の日本に宗教という概念はなかった?

本書で衝撃を受けたのは、明治以前の日本には宗教という概念がなかったと主張していること。本書で書かれているように、宗教学者の島田裕巳氏が提唱しているようです。

神道も仏教も当然ながら明治以前からありました。しかしそれは宗教という概念ではなく・・・少なくともキリスト教のような宗教概念として当時の人たちはとらえてなかったというもの。

これは一理あると思います。

例えば、江戸時代であれば檀家制度により、町民や百姓はいずれかの寺に属していました。寺が戸籍を管理し、旅行の際には手形(現代でいえばパスポート)を発行します。どこかの宗派に属することは市民権を持っていることに等しかったわけです。

江戸時代の日記を読むと、寺子屋のように寺で学問をしたり、剣術や槍術の稽古をしていたと書いてあります。また幕末には外国人の宿泊施設として幕府に接収されました。

教会で神学以外の学問をしたり、剣や槍の稽古をするというのはあまり聞きません。ましてや、異教徒の宿泊所には使われないでしょう。

日本の寺はキリスト教の教会に近いとは考えにくく、現在の感覚でいえば、役所と公民館を合わせたもののほうが近いのではないでしょうか。

メレディスBマクガイアの『宗教社会学』によると、ヒンドゥー教は元々インドにバラバラにあった土着の信仰に、イギリスの植民地政策と社会運動が組み合わさってできた宗教で、近代に発明されたとあります。

キリスト教圏の西洋人が、まったく異なる社会や文化とあったときに、キリスト教の価値観で現地の宗教を判断して、現地人がそれを受け入れるというのは珍しいことではないようです。

日本の場合は、明治時代に、キリスト教の考えに合わせて国家神道が発明されました。国家神道は奈良時代に仏教に迫害された神道勢力の強烈な巻き返しだったと、苫米地さんは言います。

宗教にどう対処するか

宗教の効用、弊害などを上げてきたうえで、本書の最後には宗教対してどのような態度を取ったら良いのかを提示します。

方法は3つあり、1つ目は宗教を本気で信仰してしまうことです(ただし、この場合の宗教として苫米地さんは仏教を想定していると思われます)

宗教の本来の教えには他人と争う思想はありません。また多少の悪事はともかく、戦争を起こすほどの煩悩を持つのは難しいと言います。とはいえこれらは宗教の教義によるので一概には言えないと思います。

あとの方法は宗教から自由になることです。その具体的な2つの方法は本書を読んでもらうとして、これが理想的な方法ではないでしょうか。もちろん、言うほど簡単ではないと思いますが。

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参考文献

宗教社会学

元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世 (中公新書 (740))

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