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正義という言葉を聞いたら疑え!?『正義という名の洗脳』

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正義という名の洗脳

正義をテーマにした苫米地さんの本です。正義とは何か?という哲学的な内容になります。中学生くらいのときに本気で考えるべきテーマかもしれませんが、大人になってから考えるのも悪くないと思います。

絶対的な正義はない・・・この本をひと言で言うのならばこれでおしまいです。多くの人がこの認識を共有していれば本書は必要ないとも言えます。しかし、多くの人が言葉の定義もしないままに”正義”という言葉を使って様々なことを主張しているのが現実です。

苫米地さんによれば正義という言葉は他人を洗脳するときに便利な言葉だと言います。本書を読むことで、正義という言葉を使っておこなわれている洗脳を解くことができるでしょう。

本書では正義を「法律」「利権」「教育」「メディア」という四分類にして、それぞれ論じています。

正義と似て非なるもの

正義に似ているけども、正義とは違うものを苫米地さんはいくつかあげています。

例えば常識です。常識とは人々が決めるものです。会社であればその会社特有の常識があったりしますが、必ずしも経営者が常識を決めるとは限りません。社長がイライラしているときに話しかけないという”常識”を社員たちが共有している場合があります。その地域の常識であれば、地域に住んでいる人たちから自然発生して共有されているもの。つまり、常識とは「ボトムアップ」で産まれるものというのが苫米地さんの主張です。

またマナーも正義とは違うと言います。フランス料理のマナーと日本料理のマナーでは違います。冠婚葬祭のマナーというのも地域や時代によって違ったりします。時や場所によってかわるものを正義と呼ぶことはできないというのです。

正義とは?

では正義とは何でしょうか?正義を英語で言うとジャスティス(Justice)です。しかし、本来のJusticeの意味は司法権のこと。ローマ神話の女神ユスティティァが語源で、司法省をJustice Departmentというからです。これを正義省と訳すとおかしい感じがします。

では司法権=法律は正義なのでしょうか?それに近いことは認めつつも、モンテスキューの『法の精神〈上〉 (岩波文庫)』を論拠として、三権分立や地域によって法律が違ってもよいことなどから、法律は妥協の産物でしかないので、(絶対的な)正義ではないと苫米地さんは言います。

そこで正義を演算的、帰納的、運用的に定義するべく、それぞれ検討しています。

  • 演算的→正義の上位概念は平等。不平等なものは正義と言えないから
  • 帰納的→(Justiceであれば)法の下での平等
  • 運用的→「絶対に正しい」「永久に変わらない」「矛盾しない」が考えられるが、どれもしっくりこない

結論は不可能だということ。英語のJusticeの定義は可能ですが、日本語の正義は演算、帰納、運用どれを使っても定義することができません。言葉の定義ができないことが絶対的正義がないことを裏付けています。

正義という言葉を利権に置き換えてみる!?

正義が無いとするのであれば、正義という言葉は使えないはずです。少なくとも本書を読めば気軽に使うことはできないと思えるでしょう。しかし、現実には使われています。これにはどう対処すればいいのでしょうか?

苫米地さんは正義と聞いたら利権に置き換えてみることをすすめています。

例えばメディアの正義と聞いたらメディアの利権のことを考えるのです。大手メディアには電波利権や記者クラブ利権などがあります。国の正義にしても特別会計などの各省の利権なが絡んできます。戦争も正義の名の下に起きますが、実際には利権の奪い合いです。

つまり正義という場合、実際は経済的な問題である場合が多いということ。これを覚えておくだけでも、正義という言葉に洗脳される可能性を減らすことができます。

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